一角仙人の「一角」について

一角仙人の「一角」について

 森の中で厳しい修行を積んで神通力を得た行者が始めて人間の女性に会ってその魅力に屈し神通力を失ったというインド起源の物語は日本には仏教を通じて伝えられ、能では「一角仙人」として、歌舞伎では「鳴神」として取り入れられていることはよく知られている。この行者は初め「リシュヤシュリンガ」(ṛśyaśṛṅga、羚羊角)と呼ばれていたが、のちに「エーカシュリンガ」(ekaśṛṅga、一角)と呼ばれるようになった。この変化の理由を考えるのがこのブログの目的である。
 
Ⅰ.ギリシャ・ローマの文献の「一角獣」

 「一角」という言葉(概念)が初めて現れるのはギリシャにおいてらしい。ペルシャ王の侍医を務めたギリシャ人クテシアス(前400年頃)は次のような記事を残した。

《インドには野生のロバがいる。額に1キュービット(約44センチ)ほどの長さの一本の角がある。角には解毒作用がある。このロバは非常な力の持ち主で、非常に早く走る。》(マクリンドル編訳『クテシアスのインド誌』Frag.Ⅰ.25;Frag.XXV)
 
 アリストテレス(前4世紀)は記している。

《角のある動物の大部分は先の割れた蹄(二指からなる)をもつが、インドロバと呼ばれる動物は単蹄であるのに角があると伝えられる。角のある動物の大部分は左右二本の角をもつが、インドロバは一本しかもたない。》(『動物部分論』Ⅲ.2).

 セレウコス朝の駐インド大使を務めたメガステネス(前300年頃)は記している。

《インドには現地の言葉でカルタゾーノスと呼ばれる動物がいる。ウマほどの大きさで、たてがみがあり、毛は黄色で、足が速い。・・・眉間のあいだに一本の角が生え、角に螺旋状の筋が入っており、強靭で、この角の力に耐えられるものはいない。》(マクリンドル編訳『メガステネスのインド誌』Frag.XV.B.)

 ローマの博物学者プリニウス(1世紀)は記す。

《インドには単蹄で、一本の角をもつウシがいる。・・・最も獰猛な動物はモノケロス(monoceros)と呼ばれる野獣で・・・2キュービットの一本の黒い角が額の真ん中から突き出ている。》(『博物誌』Ⅷ,31.)

 ギリシャ語「モノケロス」は「一本の角をもつもの」を意味する。この語のラテン語版が「ウニコルニス」(unicornis)である。
 以上のギリシャ・ローマの文献の中で「一角」という言葉(概念)の由来を知ることは容易である。それはインドのある動物を呼ぶことから始まっている。しかもその言葉はインド語の翻譯ではないらしい。ではこの動物はいったい何であり、インド語でなんと呼ばれていたのか。
 この動物についてギリシャ人たちが強調するのが「一本の角をもつ」ことである。「一本の角を持つインドの動物」といえばサイしかいないだろう。角に解毒作用があるというのもサイを連想させる。しかし、それ以外にギリシャ人たちがあげる特徴はサイにふさわしくないものがある。ロバと呼ぶことはその一例である。「角に螺旋状の筋が入っている」という記述は羚羊(アンテロープ)を思わせる。
 私はテレビでインドサイの動画を見たことがあるが、鼻の上に大きな突起があり、「一角獣」と呼ぶにふさわしいものであった。しかも、西暦前の原始仏典には「サイの角のようにただ独り歩め」という有名な文句がある。サイの角が譬えに用いられるということは、サイが当時のインド人によく知られた動物であったことを示すだろう。
 「一角」に関する以上の記述はもっぱら自然誌的なものである。この動物はサイであると考えてよいだろう。

Ⅱ.行者「羚羊角をもつもの」

 次に物語に現れる「一角」について見てみよう。この物語はバラモン教と仏教の双方に伝えられている。上村勝彦氏の訳によるバラモン教の聖典『マハーバーラタ』に基いてあらすじを述べよう。あらかじめ断っておくが、上村氏が「鹿」と訳したmṛgī[mṛgaの女性形]を私は「羚羊」と訳しておく。その理由はのちに述べる。

 カーシャパ仙は湖で沐浴中に天女ウルヴァシーの姿を見て精液を漏らした。その水を雌の羚羊(mṛgī)が飲んで妊娠し、男児を生んだ。男児のからだは人間のそれであるが、頭には角(śṛṅga)が生えていた。そこでかれはリシュヤシュリンガ(ṛśyaśṛṅga)(「羚羊角をもつもの」の意)と呼ばれた。リシュヤシュリンガは森の中で父や獣とともに育ち、清浄行に専念し、若くして偉大な神通力を獲得した。
 そのころローマパーダ王が統治するアンガ国は干ばつで苦しんでいた。王がバラモンたちへの敬意を欠いたのでバラモンたちは神々への勤めを放棄し、そのため雨の神インドラが雨を降らせるのをやめたのである。困った王にバラモンたちがいった。まず贖罪せよ。ついで大苦行者リシュヤシュリンガを都に呼び寄せよ。かれの威力でインドラは雨を降らせるであろう、と。      
 森の生活しか知らないかれを都に連れてくるには策略が必要であると考えた王や大臣は若い女性を派遣することにした。種々の花や果実で飾った舟を用意し、遊女を乗せて、リシュヤシュリンガの庵に近づけ、川辺に繋留した。女はカーシャパ仙の留守を見計らって、リシュヤシュリンガに近づき、かれの誘惑にとりかかった。人間の女を見たことのないかれは彼女を男の修行者であるとばかり思い込んでいた。女は持参した香や花や上等の菓子・飲み物をかれに提供し、毬をつくなどしながら、かれの体に触れたり、抱いたりした。女は功を奏したのを見ると、ひとまず舟に戻った。 
カーシャパが帰庵すると、息子は放心状態に陥っていた。父親が事情を訊くと、息子は答えた。髪を編んだ若い修行者がきました。容姿端麗で、美しい目をし、よい香りを漂わせ、胸には二つの球(仏典では瘤)がついていました。腰はくびれて、尻はふっくらしていました。声はコーキラ鳥の声に似て、私はその声にしびれました。かれが丸い果実のようなものを地面に打ちつけると、その果実は高く跳ね上がりました。かれは私を抱き、私の髪をつかんで顔を引きさげ、口と口を重ねて音をたてました。かれがくれた果実は皮も種もなく、ここの果実とは比べようもないほど美味でした。かれがくれた水を飲むと、私に最高の喜びが生じました。私のからだは燃えるように熱くなり、かれが去ったあと、このようにボーッとしています。
 カーシャパは息子にいった。それは羅刹のたぐいがおまえの苦行を妨害しようとしているのだ。かれらに関わってはならない。
 カーシャパがふたたび庵を留守にすると、女がやってきた。リシュヤシュリンガは進んで彼女の誘いに従い、舟に乗った。かれがアンガ国の都に着くと、インドラ神が雨を降らせた。王はリシュヤシュリンガに王女シャーンターを与えた。 (上村勝彦訳『マハーバーラタ』三、ちくま学芸文庫、p.308以下)

 この物語で注意すべきことは、「行者は mṛga の角(śṛṅga)を持つがゆえに『ṛśya の角(śṛṅga)を持つもの)と呼ばれる」とあることである。すなわち mṛga と ṛśya が同義語として用いられていることである。
 普通mṛga は「鹿」(deer)と訳される。一方、ṛśya は羚羊(antelope)を意味する。鹿と羚羊は異なる種である。上記の物語は両者を同義語としているが、他の文献においても同様である。次の文例は袴谷憲昭氏の論文からの孫引きである。(注1)

" tasyâpi vṛddhiṃ gacchataḥ ś irasi mṛga-śṛṅge prādurbhūte; tasya mṛgasya yādṛśe śṛṅge iti ṛṣyaśṛṅga iti saṃjñā saṃvṛttā; " (Saṃghabhedavastu)〔かれが成長したとき頭に mrga の角(両数)が生じた。かれに mṛga のそのような角(両数)があるということで ṛṣyaśṛṅga という名がついたのである。〕

" Isisiṅgan ti tassa kira matthake migasiṅgākārena dve cūḷā uṭṭhahiṃsu, tasmā evaṃ vuccati "(Jātaka)〔Isisiṅga というが、かれの頭に miga の角のような二つの髷が隆起したので、そのように言われるのである。〕。
 
 辞書によると、mṛga は a forest animal を意味し、具体的には stag 、deer、fawn、antelope などを意味するとされる。mṛga は類を表し、ṛśya は種を表わす、すなわち mṛga は ṛśya の上位概念であると考えてよいだろうか。パーリ語辞典には issā-miga という合成語が記されている。これは「羚羊という鹿類」を意味すると考えてよいだろうか。そうとすれば、同一の動物を mṛga と呼んでも、ṛśya と呼んでもよいことになる。ここで哺乳類の簡単な分類表を見ておこう。

           ー ウシ科(ウシ、アンテロープ、ヒツジ、ヤギ
    ーー偶蹄目ー|
    |      ー シカ科(シカ
哺乳網ー|
    |
    ーー奇蹄目ーーーーーーー(ウマ、サイ

Ⅲ.洞角と枝角

 この分類で大事なのは、ウシ科の動物とシカ科の動物とでは、角の形に違いがあることである。ウシ科の角は洞角(ほらづの、horn)であり、中空で、枝がない。シカ科の動物の角は枝角(えだづの、antler)であり、中が詰まっており、枝があり、一年ごとに生え変わる。しかし、インド語では、上記したように、両者は区別なく śṛṅga と呼ばれている。一方、サイの角は viṣāṇa(パーリ語 visāṇa)と呼ばれる。サイの角は骨質でなく、人間の頭髪と同じケラチン質からできている。
 角の違いは古代インド人も認識していたに違いない。物語の行者の角は洞角か枝角かどちらであったか。西暦前1世紀のバールフトの彫刻に行者誕生の図が表現されている(注2 )。かれの母である動物の姿が表現されているが、雌である故にか、角が表現されていない。かれ自身も、生まれたばかりである故にか、角が表現されていない。したがって母親が羚羊なのか鹿なのか判定できない。
 しかし、インド人は洞角と枝角の違いを、したがって ṛśya と mṛga の違いを、認識していたであろう。角を図に表わとき、それを知っていなければならないはずである。
 バールフトの仏教彫刻には「ルル鹿」前世物語と呼ばれるものの図が表わされている。miga-jātaka という銘の下に枝角をもった動物が表現されている(注3 )。すなわちこの場合の mṛga は明らかに鹿である。
鹿の姿を探すには、シャカムニが初めて法を説いた鹿野苑(miga-dāya)の図を見るのがよい。当然ながら、鹿の姿が表わされているはずだからである。だが、そこに表わされている動物は角を欠いていて、鹿なのか、羚羊なのか、判断できない。鹿であっても季節によって角がなかっただけかも知れない。だが、その動物が羚羊でないことはたしかである。羚羊なら季節を問わず角はあるだろうからである。(注4 )。
 いずれにしても、行者の角は、その名 ṛśyaśṛṅga からして、洞角でなければならない。

Ⅳ.一角という呼び名

 行者の角は初めは二本とされていたようである。先にⅡで引用した袴谷氏の文例を見ると、そこに次のようにある。
   mṛga-śṛṅge (二つの角)
   dve cūḷā (二つの髻)[角の形を形容している]

 行者の角は二本あったことがはっきり示されている。それが「一角」とされるようになったのはなぜか。私はその理由として二つの可能性を考えてみる。

  1. 西方の「ウニコルニス」という言葉をインド人が聞き知って、「エーカシュリンガ」というインド語を作った。
  2. 行者の角は洞角であって、枝角でないことをはっきりさせるために「エーカシュリンガ」という言葉を作った。

 1. については、西暦前後の時代、ギリシャ・ローマ世界とインド世界との交渉はかなり盛んであったこと、また、モノケロス(ウニコルニス)がインドの動物の名であるとされているからには、インド人がこの名を耳にする可能性は大いにありえたこと、をあげておこう。
 2. について。
羚羊の角は立派である。一対の角は人間が両腕を大きく広げたように湾曲しており、角は多数の節の連なりのように見える。インダス文明の印章に刻まれた動物(学者は[牡牛」と呼んでいるが)の角はこのような形状を示している(注5 )。羚羊はこの角のゆえに古くから特別視あるいは神聖視されたかも知れない。しかし、物語の行者は角以外は人間の姿で表わされている(注6) 。インダス文明の羚羊は全くの獣として表わされている。
 メソポタミアのウルクの円筒印章には「牛男」または「エンキドゥ」と呼ばれる神話的存在が表現されている。これは半人半獣の姿で表わされている。顔は人間の顔であるが、頭に二本の角があり、足は動物の足である。
 有角の行者、あるいは半人半獣の行者のアイデアをこれらの芸術的表現に結びつける学者もいる。とくにインダス文明の場合、獣は一角のように見えるので、これを行者の一角のアイデアに結びつける学者もいる。しかし、私は一角と見えるものは、横から見た描写のための表現上の制約によるものだと考える。耳も一つしか表現されていない。メソポタミアのエンキドゥの角は二本である。とすると、行者の一角のアイデアはインダス文明とも、メソポタミア文明とも無縁であるということになる。
 一角(ekaśṛṅga)という呼び名は仏教では後世の経典(『マハーヴァストゥ』、『大智度論』など)において現れる。『大智度論』に「一角仙人」という言葉があるが、これは『マハーヴァストゥ』にある ekaśṛṅga に相当することは疑いない。では、なぜ ṛśyaśṛṅga は ekaśṛṅga に換えられたのか。これは私の思いつきにすぎないが、一般人の中に、行者を鹿との合の子と思い込み、その角を枝角と思うものがいたので、その誤りを正すために、角は枝角でないことを教えようとしたのである。私が推測するに、「一つの角」という表現は「枝分かれしない角」を表わすための工夫であり、角は一対あることに変わりはなかった。とはいうものの、ekaśṛṅga が「枝分かれしない角」を意味し得るかどうか私にはまったく自信がない。
 また、バールフトの彫刻には頭の中央に明らかに一本だけの洞角がある行者が表わされている(注7 )。これが ekaśṛṅga の忠実な表現だとすると、ekaśṛṅga はやはり「一本の角」を意味したことになるだろう。しかし、彫刻家が ekaśṛṅga の意味を誤解した可能性もあるだろう。
 「一角」に「仙人」の語が付加されたのは、ekaśṛṅga のパーリ語形 isisiṅga の影響によることが考えられる。isisiṅga はサンスクリット語 ṛśyaśṛṅga のパーリ語形である(注8)。ṛśya(ṛṣya)がパーリ語で isi になるのである。ṛṣya の a が弱く発音されると、ṛṣy となるから、この変化は理解しやすい。ところが isi はサンスクリット語 ṛṣi(仙人)のパーリ語形でもある。したがって、ṛśyaśṛṅga が ekaśṛṅga に代えられたとき、この isi が混同によって「一角」に「仙人」のイメージを付与することになったかも知れない。仙人といえばわが国では老人を考えがちだが、上掲の物語を見ても分かる通り、行者はぴちぴちの若者である。もっとも、『大智度論』では老人のように描かれている。

Ⅴ 結論
Ⅱの可能性はⅠの可能性に比べてはるかに低いと思われる。ヨーロッパの中世においては「貴夫人と一角獣」のテーマがしばしばタピスリーに表現されたが、そこでは一角獣はインドの行者と違って純粋に山羊として表現されている。私はギリシャ・ラテンの monoceros(unicornis) という特異な言葉が一人歩きするようになり、世界の人々の好奇心を誘い、それぞれの場合に応じたそれぞれの形のアイデアを生んだのではないかと考えてみるのである。 

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1. 袴谷憲昭「一角仙人譚訳註」『松ヶ岡文庫研究年報』大28号(2014年3月)註⑱およびp.102。
2. 小学館『世界美術大全集』インド(1)、p.349.
3. 同上、p.32.
4. 同上、p.70. の上の図参照。羚羊らしき動物が表されている。枝角をもつ動物も表わされている。
5. 同上、p.326 の 挿図238.
6.『大智度論』では行者の足は鹿の足に似ているとされている。袴谷、前掲論文、p.76.
7. 小学館『世界美術大全集』インド(1)、p.114.
8. isisiṅga が ṛṣiśṛṅga のパーリ語形であったとは考えにくい。なぜなら「羚羊の角をもつもの」は意味をなすが、「仙人の角をもつもの」は意味をなさないからである。

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