無からの創造
無からの創造
私は以前グノーシス主義者バシリデスに関するブログを書いた。バシリデスの思想にインドの影響があるというイギリスの学者ケネディの考えを紹介したものである。
その後、筒井賢治『グノーシス』(講談社選書メチエ)という本に出合い、大いに興味をそそられた。筒井氏の本は西暦二世紀のグノーシス主義者ウァレンティノス、バシレイデース(=バシリデス)、マルキオンを紹介するものであるが、その中の第3章「バシレイデース」の第2節「無からの創造」(creatio ex nihilo)に興味をもったのである。
氏によると創造論には二種類ある。一つは「無からの創造」であり、他は「既存の材料を使って行う創造」である。
キリスト教の創造論は後者である。神は人間を塵や粘土から創ったいう言葉がそれを示す。すなわち
『創世記』2:7
「神である〔主〕はその大地の塵で人を形作り、その鼻にいのちの意を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」
『イザヤ書』64:8
「されど主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです」
西暦前124年の作とされる『第二マカベア書』7:28には「無からの創造」の観念が現れるという。すなわち
「子よ、天と地に目を向け、そこにある万物を見て、神がこれらのものを既にあったものからお造りになったのではないこと、そして人間も例外ではないことを知っておくれ。」
ただしこの書は旧約聖書外典に含まれる。
「無からの創造」の観念はどこからやってきたのか。ギリシアからではないと筒井氏は述べる。
《 ただし、プラトンや他のギリシア哲学者の誰かが「無からの創造」のような理論を唱えていたというわけではない。事実はその反対であって、プラトンとその学派の場合、「デミウルゴス」と呼ばれる創造神の役割は、すでに存在していた材料から、形のある美しい世界を作り出すことであった。プラトン哲学で、「イデア」と「質料」(ヒューレー)というキーワードがよく知られているが、基本にあるのはまさにこの図式である。「イデア」に基づいて「質料」を加工し、それによって「この世界」を形成すること、それがデミウルゴスの役割である。先にも触れたが、そもそもギリシア語の「デミウルゴス」とはものづくりのための「職人」という意味である。陶芸家が土を、大工が木材を、料理人が食材を自分で作り出すわけではない。同じようにデミウルゴス自身が質料を作るのではない。
プラトン哲学以外の流派にも「無からの創造」と呼ぶべき思索は見られない。簡単に整理してしまうが、ギリシア哲学における宇宙論は、①プラトン派のように創造神の存在を考えても、材料/素材に相当するものは創造神とは別に存在していたとされるか、あるいは②アリストテレスその他のように、宇宙には成立というものがない、つまり宇宙は「永遠」なのだと考えられていた。》
《 この「無からの創造」を唱えた候補として一番手に挙げられるのがバシレイデースである。右に述べた「存在しない神」「世界の種子」というコンセプトは、万物の根源=宇宙の起源をめぐる理論的な問題意識を明らかに示しており、その上で、神のほかには何も存在しなかった――それどころか神自身でさえ「存在」しなかった――のだという回答を提出する。ある意味では、これこそ「無からの創造」もしくは「万物は虚無から成立した」という観念である。そしてバシレイデース以前、すなわち二世紀中頃よりも前の時点で、このような理論を展開した人物や文書があったことは確認できないのである》
この考えは正統多数派教会でも取り入れられることになった。司教テオフィロスはいった。
「もし神が材料(ヒューレー、質料)をもとにしてそこから宇宙を造ったのだとすれば、それがどうして偉大なことであろうか。人間の手職人も、材料をどこかで調達してくれば、そこから何なりと望むものを造ることができる。神ならではの力は次のことにおいて、すなわち何もないところから何なりと望むものを造り出せるということにおいて、発揮されるのである」
テオフィロスを受けてエイレナイオス、テルトゥリアヌスも「無からの創造」を踏襲した。これがのちのキリスト教における「正しい」ドグマとして定着することになった。
「無からの創造」の観念がユダヤの伝統からでもギリシの思想からでも導き出せないとすれば、インドの思想からと考えてみてはどうだろうか。そう思わせる文献がインドにはあるのである。
こんなことをいうと「いきなり唐突」の感がするかも知れないが、ヘレニズム時代、ヘレニズム世界とインド世界の交流は盛んであったし、インド哲学の優秀さはヘレニズム世界では有名だったからである。
筒井氏はンドに触れていないが、私はケネディと同じようにバシリデスの思想にはインドの影響があると感じられるので、大方の読者のための参考として古代インドの宗教文献から宇宙創造に関わる文を二例ほど引いてみよう。いずれも辻直四郎『インド文明の曙』岩波新書からである。いずれも西紀前千年紀前半のものである。
★『リグ・ヴェーダ』10・129「 宇宙開闢の歌」(辻、p.99.)。
1. その時(太初において)、無もなかりき、有もなかりき。空界もなかりき、そを蔽う天もなかりき。何物か活動せし、いずこに、誰の庇護の下に。深くして測るべからざる水(原水)は存在せりや
2. その時、死もなかりき、不死もなかりき。夜と昼との標識(日月星辰)もなかりき。かの唯一物(創造の根本原理)は、自力により風なく呼吸せり。これよりほか何物も存在せざりき
3. 太初において、暗黒は暗黒に蔽われたりき。一切宇宙は光明なき水波なりき。空虚に蔽われ発現しつつありしかの唯一物は、自熱の力によりて出生せり。
4. 最初に意欲はかの唯一物に現ぜり。こは意(思考力)の第一の種子なりき。聖賢らは熟慮して心に求め、有の親縁を無に発見せり。
ここに辻氏の注がある。
「後の文献と比較して考えれば、展開の順序は、唯一物――(水)――意――意欲――熱力(瞑想・苦行により体内に生ずる熱で、創造力をもつ)――現象界、となる。」
以下、略。
★『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』第6章(辻、p.175f.)
「愛児よ、太初において。こ宇宙は有のみなりき、唯一にして第二のものなかりき。これに関してあるものはいえり、太初において、こは非有のみなりき、唯一にして第二のものなかりき。その非有より有は生じたりと。
されど実に、愛児よ、いかにしてかくあらんや」と、彼はいった、いかにして非有より有は生ぜしや。しからずして、愛児よ、太初において、こは有のみなりき、唯一にして第二のものなかりき。
そ(有)は思えり、われ多とならん、繁殖せんと。そは水を創出せり、ゆえにいかなるところにおいて苦熱を感ずるも、人は実に発汗す。そのとき正に火より水は生ずるなり。
その水は思えり、われ多とならん、繁殖せんと。そは食(地)を創出せり。ゆえにいかなるところに雨降るも、そこにおいて実に食は豊饒なり。そのとき正に水より食餌は生ずるなり。
辻氏の注がある。
「以下、有――火――水――地の順で物質の世界が創出される」
上記二つの引用例を見ると、インド人が有と無についていかに深い思索をおこなっていたかが分かる。「有もない、無もない」などと、西紀前千年紀前半という古い時代に、インド以外のどこの国にこんなことを言った者がいるだろうか。第二の例は根本原理として「有」を主張しているが、そこでもいわれているように、インドでは有と無に関する論争は絶えず続いていた。西暦後には仏教が有と無を超える「空」の思想を説いた。インド人にとっては「無から」という考えは突飛なものではない。辻氏の注に見られるごとく、ここには流出説の萌芽も見られる。
インドの哲学の評判は早くから西方に知られていたらしく、アレクサンドロス大王のインド遠征時にはインドへ哲学を学ために従軍したものもいたほどである。ヘレニズム時代、東西の交流は隆盛を極めた。旧約聖書の子供っぽい創造説(じっさいその発想は子供時代に粘土から家を造ったり人を造ったりした経験に基づくものでしかない)とは違う成人に相応しいインドの知的宇宙論を知ったヘレニズムの知識人がそれに大きな関心を寄せたのは当然である。
私は以前グノーシス主義者バシリデスに関するブログを書いた。バシリデスの思想にインドの影響があるというイギリスの学者ケネディの考えを紹介したものである。
その後、筒井賢治『グノーシス』(講談社選書メチエ)という本に出合い、大いに興味をそそられた。筒井氏の本は西暦二世紀のグノーシス主義者ウァレンティノス、バシレイデース(=バシリデス)、マルキオンを紹介するものであるが、その中の第3章「バシレイデース」の第2節「無からの創造」(creatio ex nihilo)に興味をもったのである。
氏によると創造論には二種類ある。一つは「無からの創造」であり、他は「既存の材料を使って行う創造」である。
キリスト教の創造論は後者である。神は人間を塵や粘土から創ったいう言葉がそれを示す。すなわち
『創世記』2:7
「神である〔主〕はその大地の塵で人を形作り、その鼻にいのちの意を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」
『イザヤ書』64:8
「されど主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです」
西暦前124年の作とされる『第二マカベア書』7:28には「無からの創造」の観念が現れるという。すなわち
「子よ、天と地に目を向け、そこにある万物を見て、神がこれらのものを既にあったものからお造りになったのではないこと、そして人間も例外ではないことを知っておくれ。」
ただしこの書は旧約聖書外典に含まれる。
「無からの創造」の観念はどこからやってきたのか。ギリシアからではないと筒井氏は述べる。
《 ただし、プラトンや他のギリシア哲学者の誰かが「無からの創造」のような理論を唱えていたというわけではない。事実はその反対であって、プラトンとその学派の場合、「デミウルゴス」と呼ばれる創造神の役割は、すでに存在していた材料から、形のある美しい世界を作り出すことであった。プラトン哲学で、「イデア」と「質料」(ヒューレー)というキーワードがよく知られているが、基本にあるのはまさにこの図式である。「イデア」に基づいて「質料」を加工し、それによって「この世界」を形成すること、それがデミウルゴスの役割である。先にも触れたが、そもそもギリシア語の「デミウルゴス」とはものづくりのための「職人」という意味である。陶芸家が土を、大工が木材を、料理人が食材を自分で作り出すわけではない。同じようにデミウルゴス自身が質料を作るのではない。
プラトン哲学以外の流派にも「無からの創造」と呼ぶべき思索は見られない。簡単に整理してしまうが、ギリシア哲学における宇宙論は、①プラトン派のように創造神の存在を考えても、材料/素材に相当するものは創造神とは別に存在していたとされるか、あるいは②アリストテレスその他のように、宇宙には成立というものがない、つまり宇宙は「永遠」なのだと考えられていた。》
《 この「無からの創造」を唱えた候補として一番手に挙げられるのがバシレイデースである。右に述べた「存在しない神」「世界の種子」というコンセプトは、万物の根源=宇宙の起源をめぐる理論的な問題意識を明らかに示しており、その上で、神のほかには何も存在しなかった――それどころか神自身でさえ「存在」しなかった――のだという回答を提出する。ある意味では、これこそ「無からの創造」もしくは「万物は虚無から成立した」という観念である。そしてバシレイデース以前、すなわち二世紀中頃よりも前の時点で、このような理論を展開した人物や文書があったことは確認できないのである》
この考えは正統多数派教会でも取り入れられることになった。司教テオフィロスはいった。
「もし神が材料(ヒューレー、質料)をもとにしてそこから宇宙を造ったのだとすれば、それがどうして偉大なことであろうか。人間の手職人も、材料をどこかで調達してくれば、そこから何なりと望むものを造ることができる。神ならではの力は次のことにおいて、すなわち何もないところから何なりと望むものを造り出せるということにおいて、発揮されるのである」
テオフィロスを受けてエイレナイオス、テルトゥリアヌスも「無からの創造」を踏襲した。これがのちのキリスト教における「正しい」ドグマとして定着することになった。
「無からの創造」の観念がユダヤの伝統からでもギリシの思想からでも導き出せないとすれば、インドの思想からと考えてみてはどうだろうか。そう思わせる文献がインドにはあるのである。
こんなことをいうと「いきなり唐突」の感がするかも知れないが、ヘレニズム時代、ヘレニズム世界とインド世界の交流は盛んであったし、インド哲学の優秀さはヘレニズム世界では有名だったからである。
筒井氏はンドに触れていないが、私はケネディと同じようにバシリデスの思想にはインドの影響があると感じられるので、大方の読者のための参考として古代インドの宗教文献から宇宙創造に関わる文を二例ほど引いてみよう。いずれも辻直四郎『インド文明の曙』岩波新書からである。いずれも西紀前千年紀前半のものである。
★『リグ・ヴェーダ』10・129「 宇宙開闢の歌」(辻、p.99.)。
1. その時(太初において)、無もなかりき、有もなかりき。空界もなかりき、そを蔽う天もなかりき。何物か活動せし、いずこに、誰の庇護の下に。深くして測るべからざる水(原水)は存在せりや
2. その時、死もなかりき、不死もなかりき。夜と昼との標識(日月星辰)もなかりき。かの唯一物(創造の根本原理)は、自力により風なく呼吸せり。これよりほか何物も存在せざりき
3. 太初において、暗黒は暗黒に蔽われたりき。一切宇宙は光明なき水波なりき。空虚に蔽われ発現しつつありしかの唯一物は、自熱の力によりて出生せり。
4. 最初に意欲はかの唯一物に現ぜり。こは意(思考力)の第一の種子なりき。聖賢らは熟慮して心に求め、有の親縁を無に発見せり。
ここに辻氏の注がある。
「後の文献と比較して考えれば、展開の順序は、唯一物――(水)――意――意欲――熱力(瞑想・苦行により体内に生ずる熱で、創造力をもつ)――現象界、となる。」
以下、略。
★『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』第6章(辻、p.175f.)
「愛児よ、太初において。こ宇宙は有のみなりき、唯一にして第二のものなかりき。これに関してあるものはいえり、太初において、こは非有のみなりき、唯一にして第二のものなかりき。その非有より有は生じたりと。
されど実に、愛児よ、いかにしてかくあらんや」と、彼はいった、いかにして非有より有は生ぜしや。しからずして、愛児よ、太初において、こは有のみなりき、唯一にして第二のものなかりき。
そ(有)は思えり、われ多とならん、繁殖せんと。そは水を創出せり、ゆえにいかなるところにおいて苦熱を感ずるも、人は実に発汗す。そのとき正に火より水は生ずるなり。
その水は思えり、われ多とならん、繁殖せんと。そは食(地)を創出せり。ゆえにいかなるところに雨降るも、そこにおいて実に食は豊饒なり。そのとき正に水より食餌は生ずるなり。
辻氏の注がある。
「以下、有――火――水――地の順で物質の世界が創出される」
上記二つの引用例を見ると、インド人が有と無についていかに深い思索をおこなっていたかが分かる。「有もない、無もない」などと、西紀前千年紀前半という古い時代に、インド以外のどこの国にこんなことを言った者がいるだろうか。第二の例は根本原理として「有」を主張しているが、そこでもいわれているように、インドでは有と無に関する論争は絶えず続いていた。西暦後には仏教が有と無を超える「空」の思想を説いた。インド人にとっては「無から」という考えは突飛なものではない。辻氏の注に見られるごとく、ここには流出説の萌芽も見られる。
インドの哲学の評判は早くから西方に知られていたらしく、アレクサンドロス大王のインド遠征時にはインドへ哲学を学ために従軍したものもいたほどである。ヘレニズム時代、東西の交流は隆盛を極めた。旧約聖書の子供っぽい創造説(じっさいその発想は子供時代に粘土から家を造ったり人を造ったりした経験に基づくものでしかない)とは違う成人に相応しいインドの知的宇宙論を知ったヘレニズムの知識人がそれに大きな関心を寄せたのは当然である。
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