遺族の悲嘆と死刑制度
遺族の悲嘆と死刑制度
私は死刑制度に関心があるので、新聞にそれに関連した記事が現れると、注意深く読むのであるが、今日(2022.11.24)の東京新聞の「死刑存廃『遺族』焦点に考える」という見出しの記事はすこぶる分かりにくい。
七人の刑事法学者が開いたオンライン講演会の動きを紹介したもので、「新たな刑罰理論を構築する動き」を示すものらしい。端的にいうと、死刑廃止論を主張するものらしい。かれらの発言を拾い、私の感想をのべよう。
(1)重罰化の背景には被害感情を重視する世論動向があり、「犯罪の害は被害者に与えられた害で、犯人には害としての刑が加えられるべきだ」という日本の刑罰理論がそれを支えてきたとの見方を示した。
ここに言う「日本の刑罰理論」とは「目には目を、歯には歯を」という理論のことか。そうなら「目には目を、歯には歯を」といえばだれでもすぐに理解できるのに、もって回った言い方をするから分かりにくい。
(2)刑罰の本質は「規範効力の維持という公共の利益のために、犯罪者の私益を剥奪すること」
「規範効力」とは何か。「私益」とは何か。もっと分かりやすく言えないのか。
(3)「日本国憲法の価値基準に照らすと、公益のために一定程度の財産や自由を奪うことは正当化できるが、生命まで奪うことは正当化できない」と死刑制度に異を唱えた。
「日本国憲法の価値基準」とは何か。それを説明しないで「生命まで奪うことは正当化できない」といっても、何を言おうとしているのか分からない。
(4)「民意の多数が廃止を支持した場合は、政府も廃止せざるを得ないという前提だから、等価でない選択肢を用いているのでは」という見方を示し・・・。
「等価でない選択肢」とは何か。具体的に説明しないから、これと「前提」との繋がりが分からない。
(5)「(世論上の)遺族感情は、本当の遺族感情というより、人々が望み、つくりあげた遺族に共感したいのではないか」
「(世論上の)遺族感情」とは、それは遺族の感情を第三者が憶測した感情にすぎないという意味か。まともな人間には遺族の感情を正しく憶測することは可能である。できないのはまともな人間じゃない。
「つくりあげた遺族」とは何か。悲しんでいない遺族を「悲しんでいる遺族」とすることか。悲しんでいる遺族に対する何という冒涜。
(6)「刑罰では遺族感情の充足はできないということを刑罰論の出発点とすべきだ」
「充足はできない」と言う。その通りである。死刑にしてもまだ足りないくらい犯人は憎いのである。
酒鬼薔薇聖斗事件を知っているか。子供を殺され、首を校門に晒され、一生消えぬ嘆きとともに生きねばならぬ父親が、犯人が刑期を終え、出所し、結婚して、子供まで儲ける様を見るときの口惜しさが分かるか。
妻と子を殺された本村洋氏の手記を読んだか。少年は彼女を殺して死体を犯し、母に這い寄る赤ん坊を絞め殺し、押し入れの天井に押し込んだのである。
こうした遺族にとっては加害者を極刑に処することがせめてもの慰めである。なぜ法学者たちは残忍極まる犯人を擁護することにばかり血道をあげ、なにも悪い事をしなのに悲しみ・苦しみのどん底に落とされた遺族を放置しておくのか。
(7)「被害者の処罰感情は多様で、真実を知る過程で変わっていく。『処罰感情は苛烈』と一概に捉えることは非常に偏っている」
「一概に捉えることは偏っている」という。だが「一概には捉えられない」ということは、「捉えられることもある」ということである。どうしても許せない犯罪というのがあるのである。
「真実を知る過程で変わっていく」という。そういう場合もある。そうでない場合もある。「恩讐の彼方に」を実行できるひとは偉い。だからといって、実行できない人を足らない人とするのはあまりにも酷である。
遺族はできれば「この手で犯人を絞め殺したい」とさえ思う。だが、それは社会の秩序と平和を壊す。そこで国が代わって殺すのが死刑であり、これは人間の知恵なのである。
新聞記事の中で私が共感する記事がひとつある。
(8)世論調査で死刑容認が過半数を超えるが、「廃止すれば被害を受けた人や家族の気持ちがおさまらない」と考えるからである。
私は死刑制度に関心があるので、新聞にそれに関連した記事が現れると、注意深く読むのであるが、今日(2022.11.24)の東京新聞の「死刑存廃『遺族』焦点に考える」という見出しの記事はすこぶる分かりにくい。
七人の刑事法学者が開いたオンライン講演会の動きを紹介したもので、「新たな刑罰理論を構築する動き」を示すものらしい。端的にいうと、死刑廃止論を主張するものらしい。かれらの発言を拾い、私の感想をのべよう。
(1)重罰化の背景には被害感情を重視する世論動向があり、「犯罪の害は被害者に与えられた害で、犯人には害としての刑が加えられるべきだ」という日本の刑罰理論がそれを支えてきたとの見方を示した。
ここに言う「日本の刑罰理論」とは「目には目を、歯には歯を」という理論のことか。そうなら「目には目を、歯には歯を」といえばだれでもすぐに理解できるのに、もって回った言い方をするから分かりにくい。
(2)刑罰の本質は「規範効力の維持という公共の利益のために、犯罪者の私益を剥奪すること」
「規範効力」とは何か。「私益」とは何か。もっと分かりやすく言えないのか。
(3)「日本国憲法の価値基準に照らすと、公益のために一定程度の財産や自由を奪うことは正当化できるが、生命まで奪うことは正当化できない」と死刑制度に異を唱えた。
「日本国憲法の価値基準」とは何か。それを説明しないで「生命まで奪うことは正当化できない」といっても、何を言おうとしているのか分からない。
(4)「民意の多数が廃止を支持した場合は、政府も廃止せざるを得ないという前提だから、等価でない選択肢を用いているのでは」という見方を示し・・・。
「等価でない選択肢」とは何か。具体的に説明しないから、これと「前提」との繋がりが分からない。
(5)「(世論上の)遺族感情は、本当の遺族感情というより、人々が望み、つくりあげた遺族に共感したいのではないか」
「(世論上の)遺族感情」とは、それは遺族の感情を第三者が憶測した感情にすぎないという意味か。まともな人間には遺族の感情を正しく憶測することは可能である。できないのはまともな人間じゃない。
「つくりあげた遺族」とは何か。悲しんでいない遺族を「悲しんでいる遺族」とすることか。悲しんでいる遺族に対する何という冒涜。
(6)「刑罰では遺族感情の充足はできないということを刑罰論の出発点とすべきだ」
「充足はできない」と言う。その通りである。死刑にしてもまだ足りないくらい犯人は憎いのである。
酒鬼薔薇聖斗事件を知っているか。子供を殺され、首を校門に晒され、一生消えぬ嘆きとともに生きねばならぬ父親が、犯人が刑期を終え、出所し、結婚して、子供まで儲ける様を見るときの口惜しさが分かるか。
妻と子を殺された本村洋氏の手記を読んだか。少年は彼女を殺して死体を犯し、母に這い寄る赤ん坊を絞め殺し、押し入れの天井に押し込んだのである。
こうした遺族にとっては加害者を極刑に処することがせめてもの慰めである。なぜ法学者たちは残忍極まる犯人を擁護することにばかり血道をあげ、なにも悪い事をしなのに悲しみ・苦しみのどん底に落とされた遺族を放置しておくのか。
(7)「被害者の処罰感情は多様で、真実を知る過程で変わっていく。『処罰感情は苛烈』と一概に捉えることは非常に偏っている」
「一概に捉えることは偏っている」という。だが「一概には捉えられない」ということは、「捉えられることもある」ということである。どうしても許せない犯罪というのがあるのである。
「真実を知る過程で変わっていく」という。そういう場合もある。そうでない場合もある。「恩讐の彼方に」を実行できるひとは偉い。だからといって、実行できない人を足らない人とするのはあまりにも酷である。
遺族はできれば「この手で犯人を絞め殺したい」とさえ思う。だが、それは社会の秩序と平和を壊す。そこで国が代わって殺すのが死刑であり、これは人間の知恵なのである。
新聞記事の中で私が共感する記事がひとつある。
(8)世論調査で死刑容認が過半数を超えるが、「廃止すれば被害を受けた人や家族の気持ちがおさまらない」と考えるからである。
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