森氏のために弁ずる

森氏のために弁ずる

 2021.2.17付け東京新聞夕刊に玉木正之氏の「遅きに失した森会長辞任」「スポーツ界 意識改革の時」という見出しの記事がある。前半は次のようである。

《 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が辞任を表明した。直接的原因となった、女性蔑視発言は三日。「辞任は考えてない」と居直り、世界中から非難を浴びた。五輪開幕まで半年を切った時点で一週間以上の混乱を経ての辞任は、遅きに失したと言うべきだ。
 彼は六年前にある新聞の取材に応じてこう語っていた。「組織をまとめあげるまでが私の役割だと思っている。あと三年はちゃんとやるよ」
 当時はエンブレムの「盗用」問題や新国立競技場の見直し問題などが相次いだ。文中には「森さんは開会式には八十三歳になっている。『老害か…』。そうつぶやき、ある決意を安倍首相(当時)に伝えたと打ち明けた」と記されていた。その決意が「私の役割は、あと三年」つまり二〇一八年には辞めると決めていた、というのだ。
 私は、このときの決意を森氏に直接ただしたことがある。それは一九年のことで、「辞める決意は変わったのか? 後任の人選は?」と尋ねた。ところが大声で「そんなことを答える必要はない!」と衆目の前で怒鳴られた。
 今回の女性蔑視発言の謝罪会見でも、記者の「組織会長としてふさわしくない」との言葉に、とたんに不機嫌になるシーンがあった。この人は痛いところを突かれると常に逆ギレするようだ。
 ただ今回の森氏の差別発言は、ただ単に男女平等を唱える五輪の理念に反したから問題だった、というだけではない。われわれ日本社会が知らず知らずのうちにスポーツ界の男女差別を容認しているという事実に気付くべきだろう。
 たとえば正月恒例の箱根駅伝は、なぜ男子だけなのか? 高校野球の甲子園大会に、なぜ女子は参加させないのか? 》

 私は森氏の発言を全面肯定はしていないが、批判があまりにも一方的なので、森氏のために肩を持ってみたい。

(1)「世界中から非難を浴びた」とあるが、ニューヨークタイムズの森発言の偏向した翻譯を見れば、そうなるのも不思議ではない。(この記事については私は別のブログで触れた。)私はそれを放置した日本人の責任を問う声がないのを情けなく思っている。

(2)「一週間以上の混乱を経ての辞任は、遅きに失した」
バッハ会長が森氏の謝罪会見を受けて「これで一件落着」としたのを見たとき、私はこれで混乱は終わると思った。それを許さなかったのは国内外の批判者たちである。もとは森氏に責任がある混乱とはいえ、なにもかも森氏の責任にする人々の厚顔には呆れる。

(3)「『老害か…』。そうつぶやき、ある決意を安倍首相(当時)に伝えたと打ち明けた」
この文章はわかりにくい。私は次のように言葉を補って読んだ。
「森氏は自分が老害と非難されることを懸念して、みずから『老害か…』とつぶやいた。そうつぶやき、ある決意を安倍首相(当時)に伝えたと(森氏は取材した私に)打ち明けた」
 その決意というのが、「私の役割は、あと三年」ということであった。この言葉から直ちに「(森氏は)二〇一八年には辞めると決めていた」と決めつけたのなら短絡的である。森氏は「辞める」とはいっていない。続投する考えだってありうる。
 玉木氏は2019年に森氏に「辞める決意は変わったのか?後任の人選は?」と尋ねたという。森氏は大声で「そんなことを答える必要はない!」と怒鳴ったという。森氏が「辞める」といったことがないのに、そんな質問をしたとすれば、「答える必要はない」のは当然である。

(4)記者の「組織会長としてふさわしくない」との言葉に、とたんに不機嫌になるシーンがあった。この人は痛いところを突かれると常に逆ギレするようだ。
私もテレビでその記者会見を見た。森氏を追求する記者の遠慮ない矢継ぎ早の質問に、私は森氏がよくも激高しなかったものだと感心しているのである。記者のあの態度には森氏ならずとも不機嫌になるであろう。
 最近「逆ギレ」という言葉をよく見聞きするが、なにをもって「逆」というのか私には分からない。「キレる」の悪印象を強めるために添えるだけか。
 玉木氏は森氏から衆目の前で怒鳴られたという。いま玉木氏は森氏に怒りをぶつけている。これを「逆ギレ」というのか。

(5)正月恒例の箱根駅伝は、なぜ男子だけなのか? 高校野球の甲子園大会に、なぜ女子は参加させないのか? 
 それが伝統になっているからと答えるだけで十分である。女子の競技人口が増え、熟練度も高まったとき、当然、女子参加の問題が浮上するだろう。
 森批判のためにこんなところにまで性差別批判を持ち込むこと、これが今回の森バッシングの正体である。

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