パスカルの「無限」

パスカルの「無限」

 パスカルは『パンセ』233(新潮文庫版)で、有神論を擁護するために、「無限」の概念に触れて次のようにいう。

 《 一を無限に加えても無限は少しもふえない。》

 私はそう思わない。一ふえるのである。それが「加える」「ふえる」の意味である。無限であることが変わらないだけである。
 パスカルはさらにいう。のちの議論のために下線を施しておく。

 《 我々は無限というもののあることを知っている。そうしてそれの性質を知らない。たとえば数が有限であるというのは誤りであることを我々は知っている。したがって、数は無限であるというのは真である。しかしそれがどういうものであるかを我々は知らない。それが奇数であるというのはあやまりであり、偶数であるというのも誤りである。なぜなら一を加えてもそれの性質は変わらない。しかしながらそれは数であり、すべての数は偶数か奇数かである。あらゆる有限の数についてそれは真である。それゆえ人は神がどういうものであるか知らなくとも神があるということを十分認めることはできる。》

 この言葉にもあやまりがある。
 「数は無限である」の「無限」はここでは形容詞(状態を表す言葉)である。「きりがない」という言葉に変えてみれば分かるだろう。「数は無限である」は厳密にいうと「数は無限にある」「数をあげればきりがない」ということである。そう解釈するかぎり、「数は無限である」に問題はない。
 ところがパスカルはそのあと「それが奇数である」などという。かれは「それ」すなわち「無限」を「もの」あるいは「こと」を表す「名詞」として使っているのである。形容詞的用法と名詞的用法を混同しているのである。その結果、「無限」を主語に立てるのである。ここから二重の過ちが生じる。
 (1)かれは先に「数は無限である」といった。しかしその後で「それ(無限)は数である」といっている。かれは「数」と「無限」の主語・述語の位置を入れ替えても正しさは変わらないと単純に考えて「それ(無限)は数である」といったのであろうか。
 だが「ソクラテスは人間である」がいえても「人間はソクラテスである」はいえないことは誰でも知っている。
 (2)パスカルは「それが奇数である」という。「それ」とは「無限」を指す。すると「それが奇数である」は「無限が奇数である」ということになる。パスカルはこの考えを「あやまり」としているのであるが、それが根本的にナンセンスであることには気づいていない。
 ここに引用したパスカルの言葉は詭弁というにふさわしく、ひとを説得するには足りない。

"パスカルの「無限」" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント