一切関係ない
一切関係ない
統一教会問題で質問をうけた関係者がよくいう言葉に「一切関係ない」というのがある。「一切…ない」という言葉はよほど確かでなければ軽々しく口にすべきでないと思われる。そこでちょっと調べてみた。
(1)『週刊新潮』8.4号、p.22 によると
《 前原誠司氏は統一教会系米紙「ワシントン・タイムズ」の全面意見広告に名を連ねている。》
《「賛同者として名を連ねたとありますが、前原にその認識はなく、(中略)統一教会の活動には一切関わりはございません」(前原事務所)》
この質疑応答は疑問だらけである。「名を連ねている」のに「前原にその認識はなく」とはどういうことか。名を連ねたのは確かだが、夢うつつのうちにそうしたということか。それとも「連ねた」という事実そのものがないというのか。それなら「認識はない」などと言わず、はっきり「ない」と言えばよいではないか。「認識はない」という言葉は「記憶にない」という言葉と同様、事実がなかったことを意味するものではない。それとも他人が前原氏の名を騙って名を連ねたということか。それならはっきりそう言えばよいではないか。
(2)『週刊文春』8.4号、p.26 によると
《 下村氏は主に以下のように回答した。「名称変更について指示をした事実はなく、従って本件に『全く関わっていない』のは事実です」 》
部下が下村大臣に書類を見せたのだろう。下村氏はそれを見たに違いない。見ないのに、部下が帰って行くはずがない。そうすると下村氏は黙認したということになる。そもそも見たことが関わったことを意味する。「関わった」ということはそういうことである。
(3)同上
《 統一教会は答えた。「世界戦略総合研究所と教育問題国民会議は当法人と一切関係がない」
「当法人が『自民党に対し接近を図ってきた』事実はありません。ご質問は宗教法人である当法人と各友好団体の設立目的に基づく活動等を意図的に同一視ないし混同した決めつけに基づくものです」 》
「世界戦略総合研究所」と「教育問題国民会議」が統一教会の関連団体であることはもうとっくに調べがついている。「意図的」とか「決めつけ」とかは関係がない。
「自民党に対して接近を図ってきた」事実はありません、と言うが、誰も信用しない。当事者の一方である自民党議員が「図ってきた」と言っている。
(4)『週刊新潮』8.4号、p.23
元警察官僚・平沢勝栄氏の言葉遣いはあまりにも杜撰で意味を取るのに苦労する。氏は2007年に次のように言ったという。
〈 各地で今、5,6ヵ所で、警察でトラブってんだよ、統一教会と親が。どうしようもない。それで結局、警察けしからんと言ってんだよなあ、統一教会は。それで私にそれをやってくれって、こう言ってきているわけだよ、統一教会は。だから私は分かったって〉
〈私がこれ結局、その助けるって言ってんだから。警察とのパイプ役になるって、やるって言って、“アジア”の選挙やってるわけだから〉
少し解説が必要である。“アジア”とは元葛飾区議・福本亜細亜氏のことである。かれは平沢氏の私設秘書を務めていたらしい。その福本氏が参院選に出馬し、統一教会の支援を受けることになった。だから平沢氏は福本氏と統一教会の中を取り持つことになったのだろう。統一教会の側は見返りに平沢氏に警察の動きを抑えるパイプ役を期待したのだろう。
さて『週刊新潮』は今度、改めて平沢氏にパイプ役を務めたことがあるかどうか訊いた。
「冗談じゃないよ。本当にないもん。いまの福本亜細亜は私とは一切関係がないけども、葛飾区内のことで動いた以外は絶対にないもん。警察にだって何一つそういうことはしたことはないもの」
平沢氏は「いまの福本亜細亜とは関係ない」といっているが、いまのことなどどうでもよい。当時どうだったか訊いているのである。氏は当時「警察とのパイプ役になる」と言ったではないか。
「葛飾区内のことで動いた以外は」といっているが、「以外のこと」はどうでもよい、「葛飾区内で動いた」ことを訊いているのである。
このひと、「いまの」とか「以外は」とか、問題になるできごとを含む範囲を取り除いておいて「一切」とか「絶対」とか言っている。そんなことをすれば、誰だって、いつだって「一切」とか「絶対」とか言うことができる。かれは相手を言いくるめたと思っているかも知れないが、相手は、このひと、なんと頭が悪いんだろうと思うだけである。
『週刊新潮』が後日、改めて質問書を送ると、次の回答がきたという。
「旧統一教会系の団体と関りを持った事実は一切ありません」
統一教会問題で質問をうけた関係者がよくいう言葉に「一切関係ない」というのがある。「一切…ない」という言葉はよほど確かでなければ軽々しく口にすべきでないと思われる。そこでちょっと調べてみた。
(1)『週刊新潮』8.4号、p.22 によると
《 前原誠司氏は統一教会系米紙「ワシントン・タイムズ」の全面意見広告に名を連ねている。》
《「賛同者として名を連ねたとありますが、前原にその認識はなく、(中略)統一教会の活動には一切関わりはございません」(前原事務所)》
この質疑応答は疑問だらけである。「名を連ねている」のに「前原にその認識はなく」とはどういうことか。名を連ねたのは確かだが、夢うつつのうちにそうしたということか。それとも「連ねた」という事実そのものがないというのか。それなら「認識はない」などと言わず、はっきり「ない」と言えばよいではないか。「認識はない」という言葉は「記憶にない」という言葉と同様、事実がなかったことを意味するものではない。それとも他人が前原氏の名を騙って名を連ねたということか。それならはっきりそう言えばよいではないか。
(2)『週刊文春』8.4号、p.26 によると
《 下村氏は主に以下のように回答した。「名称変更について指示をした事実はなく、従って本件に『全く関わっていない』のは事実です」 》
部下が下村大臣に書類を見せたのだろう。下村氏はそれを見たに違いない。見ないのに、部下が帰って行くはずがない。そうすると下村氏は黙認したということになる。そもそも見たことが関わったことを意味する。「関わった」ということはそういうことである。
(3)同上
《 統一教会は答えた。「世界戦略総合研究所と教育問題国民会議は当法人と一切関係がない」
「当法人が『自民党に対し接近を図ってきた』事実はありません。ご質問は宗教法人である当法人と各友好団体の設立目的に基づく活動等を意図的に同一視ないし混同した決めつけに基づくものです」 》
「世界戦略総合研究所」と「教育問題国民会議」が統一教会の関連団体であることはもうとっくに調べがついている。「意図的」とか「決めつけ」とかは関係がない。
「自民党に対して接近を図ってきた」事実はありません、と言うが、誰も信用しない。当事者の一方である自民党議員が「図ってきた」と言っている。
(4)『週刊新潮』8.4号、p.23
元警察官僚・平沢勝栄氏の言葉遣いはあまりにも杜撰で意味を取るのに苦労する。氏は2007年に次のように言ったという。
〈 各地で今、5,6ヵ所で、警察でトラブってんだよ、統一教会と親が。どうしようもない。それで結局、警察けしからんと言ってんだよなあ、統一教会は。それで私にそれをやってくれって、こう言ってきているわけだよ、統一教会は。だから私は分かったって〉
〈私がこれ結局、その助けるって言ってんだから。警察とのパイプ役になるって、やるって言って、“アジア”の選挙やってるわけだから〉
少し解説が必要である。“アジア”とは元葛飾区議・福本亜細亜氏のことである。かれは平沢氏の私設秘書を務めていたらしい。その福本氏が参院選に出馬し、統一教会の支援を受けることになった。だから平沢氏は福本氏と統一教会の中を取り持つことになったのだろう。統一教会の側は見返りに平沢氏に警察の動きを抑えるパイプ役を期待したのだろう。
さて『週刊新潮』は今度、改めて平沢氏にパイプ役を務めたことがあるかどうか訊いた。
「冗談じゃないよ。本当にないもん。いまの福本亜細亜は私とは一切関係がないけども、葛飾区内のことで動いた以外は絶対にないもん。警察にだって何一つそういうことはしたことはないもの」
平沢氏は「いまの福本亜細亜とは関係ない」といっているが、いまのことなどどうでもよい。当時どうだったか訊いているのである。氏は当時「警察とのパイプ役になる」と言ったではないか。
「葛飾区内のことで動いた以外は」といっているが、「以外のこと」はどうでもよい、「葛飾区内で動いた」ことを訊いているのである。
このひと、「いまの」とか「以外は」とか、問題になるできごとを含む範囲を取り除いておいて「一切」とか「絶対」とか言っている。そんなことをすれば、誰だって、いつだって「一切」とか「絶対」とか言うことができる。かれは相手を言いくるめたと思っているかも知れないが、相手は、このひと、なんと頭が悪いんだろうと思うだけである。
『週刊新潮』が後日、改めて質問書を送ると、次の回答がきたという。
「旧統一教会系の団体と関りを持った事実は一切ありません」
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