子はかすがい
子はかすがい
2022.11.5付け東京新聞で「共同親権」という言葉があることを知った。夫婦が離婚した場合、民法では子供の養育の権利・義務をもつのは夫か妻の一方であると定められているが、これを単独親権といい、それに対応する言葉らしい。
なぜ共同親権という言葉が浮上したかというと、親権を失った側の元親が子供に接触したいからだという。私はこれを聞いてあきれる。そんなことなら離婚しなければよいではないか。
しかし夫婦の間に暴力沙汰があって、一方(たいてい妻)がどうしても離婚したいと考えるケースがあるというのである。
たしかに夫の暴力沙汰の話は耳にする。だが、最近それがあまりにも多い。むかしはそんな話はそれほど多くなかった。妻が耐え忍んでいたのであろうか。
それにしても「子はかすがい」という考えはどこへ行ってしまったのであろうか。子どもは夫と妻の遺伝子が分離しがたく溶け合った存在である。言い換えると子供は夫の分身であり、妻の分身である。もはや三人は切っても切り離せぬ存在なのである。夫は子供を介して妻でもあり、妻は子供を介して夫でもあるのである。なによりもまず子供にとって父と母は欠かすことのできない存在である。これを運命的な、神秘的な出来事と感じることはできないのであろうか。
いくら夫婦仲が悪いといっても、子どもの可愛さを考えたら離婚などできないはずである。暴力をふるう親もそれを考えたら、暴力をやめることくらい、何でもないではないか。まして離婚した後に子供に会いたいと思うくらいなら、である。
子供の幸せを犠牲にしても離婚するという現代の風潮は喜ぶべきか、悲しむべきか。この現象の原因として考えられるのは、行き過ぎた個人主義、行き過ぎたフェミニズム思想、福祉政策の充実、であろうか。
2022.11.5付け東京新聞で「共同親権」という言葉があることを知った。夫婦が離婚した場合、民法では子供の養育の権利・義務をもつのは夫か妻の一方であると定められているが、これを単独親権といい、それに対応する言葉らしい。
なぜ共同親権という言葉が浮上したかというと、親権を失った側の元親が子供に接触したいからだという。私はこれを聞いてあきれる。そんなことなら離婚しなければよいではないか。
しかし夫婦の間に暴力沙汰があって、一方(たいてい妻)がどうしても離婚したいと考えるケースがあるというのである。
たしかに夫の暴力沙汰の話は耳にする。だが、最近それがあまりにも多い。むかしはそんな話はそれほど多くなかった。妻が耐え忍んでいたのであろうか。
それにしても「子はかすがい」という考えはどこへ行ってしまったのであろうか。子どもは夫と妻の遺伝子が分離しがたく溶け合った存在である。言い換えると子供は夫の分身であり、妻の分身である。もはや三人は切っても切り離せぬ存在なのである。夫は子供を介して妻でもあり、妻は子供を介して夫でもあるのである。なによりもまず子供にとって父と母は欠かすことのできない存在である。これを運命的な、神秘的な出来事と感じることはできないのであろうか。
いくら夫婦仲が悪いといっても、子どもの可愛さを考えたら離婚などできないはずである。暴力をふるう親もそれを考えたら、暴力をやめることくらい、何でもないではないか。まして離婚した後に子供に会いたいと思うくらいなら、である。
子供の幸せを犠牲にしても離婚するという現代の風潮は喜ぶべきか、悲しむべきか。この現象の原因として考えられるのは、行き過ぎた個人主義、行き過ぎたフェミニズム思想、福祉政策の充実、であろうか。
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